私達は生まれたばかりの頃はとても聡明で、
どうして生まれてきたか、とか、
そんな難しい質問にさえ、さらっと答えられるくらい、
色んなことを分かっているんだと思う。
ただ、話す言葉を知らないだけ。
でも大切なことというのは、本当は、
言葉にならないものばかりなんじゃないかとも思う。
赤ちゃんをだっこしたり、
まんまるな大きな目を見ていると、
私の方がよっぽど未熟なのだと痛感した。
私達は成長しながら、言葉を覚えたり様々な経験を積む代わりに、
だんだん忘れてしまうけれど、
また、人生の終わりの頃になってそれが何だったのかを思い出すの。
だけどやっぱり、
それは言葉にならないもので、
だから、誰かに伝えるのは難しくて、
それぞれが、
自分だけで解っていくしかないことだと思う。
老人が多くを語らないのはそういうことだと、
95歳の祖父を見ていて思ったりする。
祖父は色んなことをよく話してくれるけれど、
若い私に伝えたいことがあるのに、うまく言えない、
私は祖父の中にそんなもどかしさを感じ、
遥かな道のりを歩いてきた祖父に聞きたいことがあるのに、うまく聞けない、
私もいつでもそのどかしさをかかえている。
答えが言葉にならないものならば、
その質問もまた、言葉にならないものかもしれない。
”あの感覚”といえば解り合えることが、この世に存在するように、
お互いが静かに共有する何かであってほしい。
赤ちゃんを抱きしめると、ミルクの香りがする。
そして祖父を抱きしめた時にも、私は同じ香りを感じた。
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